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モニュメント

ウェスターケルク(チャーチ)、週6日(日曜休館)、午前11時から午後3時まで一般公開されています。

ヘンドリック・ド・カイザーがウェスターカークの設計者で、1620年から1631年にかけてアムステルダム市議会の依頼を受けて建築したものです。

アムステルダムで最初のプロテスタント教会ではないものの、最も大きなものでした。 ノーダーカークとズイダーカークはウェスターカークよりも先に建てられたものです。 ヌーヴカークとオードカークが最初に建てられたローマカトリック教会ですが、1566年に起こった聖像破壊奇襲によって、プロテスタントたちがこれらの教会をのっとり、祭壇や聖像は撤去されました。

ウェスターケルクはルネッサンス様式で、長老派型十字(横が二本)を採用しています。モニュメントは長方形で、縦48m、幅28m、身廊の木製丸天井までの高さが27.5mあります。目を引くのは、36ある大きな窓から、すべての角度に直接差し込む明るい太陽の光です(まわりの建物には光を遮るものはありません)。この光の効果は白塗りの内壁によってさらに高められています。

窓の他に、この教会の白い漆喰の間にある自然石でできた白灰色のオーナメントも特徴的です。一階部分の支柱、アーチ、梁、付柱、 主 軸などは濃いグレーに塗られたベントハイム砂岩でできています。ウェスターカークはアムステルダム市議会の命を受けて建築されたため、市の紋章がどの教会 でもテーマとなりました。身廊と両サイドの檀廊張間部分は木製円筒形で覆われ、交差梁部分でも円形になっています。残りの下段廊はうねりのある石でつくら れています。

歴史

1578年、アムステルダム市はオレニエ公がローマカトリック派を追い出す戦略に加担しました。その『改革』の結果、七つのローマカトリック教会は改革派教会のものとなりました。

改革後、アムステルダムの人口は100年の間に3万人から20万人にふくれました。これは 、地方から都市部に人が移住してきたこと、難民や諸外国(フランス、ドイツ、ベルゴー)から主に職人がやってきたことなどが原因です。 増える労働者の居住地として、郊外に「ヨルダン」という場所ができました。アムステルダム 地方自治体はヨルダンに暮らす人々のためにノーダーカークを建築しました。そしてプリンセン運河の河口には、富裕な運河まわり地区のための ウェスターケルクが建築されました。

1620年、ウェスターケルクトに、教会の北東側に位置する墓地が建てられました。 カイザーグラクトから来ると ウェスターカーク墓地への入り口は美しい門を通りましたが、今はなくなっています。教会や下の門と同じようにヘンドリック・デ・カイザーの設計でした。

しかしながら、プリンセングラクトから墓地に入る二つ目の門が今も残されています。 この門から教会横のプリンセンフイスへ入ることができます。この建物はウェスターカークが主催する、教会行事や社交行事によく利用されています。墓地は長い間使われていません。1865年までは教会の中にも埋葬されていました。ウェスターケルク内の墓碑がその証です。

ウェスタートーン

ウェスタートーンはアムステルダムの流行歌にもよくでてきます、またあのアンネの日記にもでてきます。夏の間は一階部分のみ一般公開されています。

王冠

85メートルある有名なオウエウェスターはアムステルダムで最も高い教会塔を有します。 王冠章のついた尖塔は1638年に建築されたものです。2006年まで、王冠は黄金色をしていました。2006年と2007年に修復工事が行われる際、歴史的により適切な色使いに変更されました。最も印象に残るのは明るいブルーの王冠です。1906年に、レンブラントの生誕300年を記念して王冠の色は青から黄金色となりましたが、そのちょうど100年後「レンブラントの年」2006年に再度もとの青にもどりました。

ウェスタートーンの鐘は一日に数回聞くことができます。手でつくことができ、鐘はフランソワ・ヘモニーによってつくられたものです。ブーデウィジン・ツワルトがこの鐘の常任奏者です。

ベル

礼拝が行われる前、ウェスターケルクではベルを聞くことができます。ウェスターケルク教会の信者のボランティアグループが演奏しています。

教会と尖塔の分別

1795 年にフランス立法府は教会と政府の分離を導入しました。ウェスターカークはこの時、オランダ改革派教会の持ち物となりました。しかし、ウェスタートーンは アムステルダム自治体所有のままでした。登ってみたくなりましたか?詳しくはアムステルダムホームページへ。

バーニングブッシュ

ウェスターケルクの バーニングブッシュはキャンドルに火をともし、静かに考えることができる特別な場所です。

これはウェスターカークの牧師であるフォッケィリーン・ウースターウィークのアイデアで、彫刻家、ハンス・マエテによって設計されました。使用され始めたのは2007年の終わりからです。

宗 教的また社会的な相違が社会に大きな影響をあたえる今日にあって、バーニングブッシュはキリスト教、ユダヤ教、イスラム教の人たちが共有できる伝統です。 ウェスターカークのバーニングブッシュは世界の人々が望む、言葉にできないもの、手の届かないものを身近に感じることができる場所です。

聖 書によると、神は燃え立つ柴となってモーゼに自分を示されたとあります。モーゼに奴隷となっているイスラエルの人たちをエジプトから救いだし、カナンへ導 くように言われ、そして神は必ずあなたとともにいると約束されました。モーゼが神のこと尋ねられたらというと、神は「私は有ってあるもの」と答えられま す。神の名が永遠の近づきなのです。

オルガン

ウェスターケルクの入り口のはるか上方に大きなオルガンがあります。オルガンの奏でる圧倒的な音楽、絵をほどこしたパネル、驚くほどのパイプはけして忘れられない印象を与えてくれます。

ウェスターケルクが1631年 復活祭後の第七日曜日に初めて開かれた際には、オルガンはありませんでした。その頃はまだ教会の中で楽器を奏でることはカトリック的だと軽蔑されていまし た。その後、何年もの説得などがあり、オルガンがついに許されました。当初、オウデカークかズイダーカークで使われていたオルガンを移すという話もありま したが、1681年にウェスターケルクはオルガン製作者であるロエロフ・バレンツインを、組み立てにはダイショットを雇うことにしました。オルガンにはこの製作者の名前がつけられています。

1686年のクリスマスの日、レイデンから来たジュリアン・ボフが初めて礼拝中にオルガンを演奏しました。日曜日に三度演奏し (その頃は日曜日に四度礼拝が行われることもありました)、木曜と金曜、さらにはサンクスギビングや祈りの日にも演奏していました。

美しい絵柄のオルガンパネルはジェラルド・デ・ライレッセによるものです。デ・ライレッセは1640年にリエージュに生まれ、1664年にオランダに来ました。17世紀の後半、彼はオランダでは最も人気のある画家でした。

聖歌隊オルガン

大オルガンの他にウェスターケルクにはもう一つ、ずっと後になって「H.A.ヴィサー牧師」オルガンが置かれます。

1949年から1977年まで、H.A.ヴィサーはウェスターカークの牧師で、合唱のはいるカンタータ礼拝を始めました。このカンタータには小さな聖歌隊用オルガンが必要で、1963年にD.A.フレントロップによって製作されました。

所在地

ウェスターケルクはプリンセングラクトとローゼングラクトの角にあり、有名なウェスターマルクトの隣です。

グーグルマップの地図はここをクリック。

アンネフランク

教会の入り口はプリンセングラクト279番地にあります。セクストンの家はすぐ隣の 281番地。セクストン家の前にはアンネ・フランクの銅像があり、観光客の絶好の記念撮影場所となっています。そのためセクストンの家はアムステルダムで最も写真を撮られている家ということになります。もう少し行くとプリンセングラクト263番地、ここがアンネ・フランクの家です。アンネ・フランクの家とウェスターカークを両方訪れるのもいいでしょう。

プリンセンフイス

プリンセングラクト277b番地がプリンセンフイスの入り口です。 かつてウェスターカーク墓地への入り口だった美しく飾られた門があり、その後ろがウェスターケルク事務所です。

ポットハウス

教会の外壁に沿って、多くのポットハウスが建てられて、ウェスターケルクを訪れる人に足暖器や燃料を配布していましたが、今では土産屋となっています。

市長の門

今でも教会のウェスターマルクト側に市長の門が見えます。昔は市長たちはこの門を使って教会の中にある自分の専用椅子(市長のベンチ)まで近道をしたものです。

ホモ モニュメント

アンネ・フランクの家やウェスターケルクに並んで、ホモモニュメントも人気のスポットです。教会のすぐ後ろ、ウェスターマルクトとカイザーグラクトの角にあります。


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